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わたしとL字とえくぼ

えくぼに溺れちゃったアラサー安田担のいろいろ

私がおたくを続ける理由って


 春先にKAT-TUNのファンの方のインタビューを見かけた。「人生の半分を共にしてきた」と泣きながら話していたファンの方。分かる。と深く頷いている私もJohnnysworldに入り込んで、もうすぐ人生の半分を過ごそうとしている。近頃はFBで結婚や赤ちゃんの報告。なんでこうなった、、、おっと、道がそれた。沼から抜けだそうと思ったことは特にないが、何故やめられないのかを考えたことは何度かある。その原因はアイドルという存在もあり、その中での自担の存在もあり、今までの思い出や友達との繋がりというものが挙げられる。


 まず、アイドルという肩書きの素晴らしさに気付いてしまったのである。アイドルは、同じ人間であるのに、違う存在であるようなものである。崇拝というわけではない。彼らの言うことなすこと全てが正しいとは思わないし、思想を真似しようとは思わない。しかし、自分の信じた人たちが言うことがとてもまっとうに見えるのだ。いや、まっとうなのだ。挫折をし、苦労をし、今の立場まで這い上がってきた。自分が働くようになってから、ある意味社会の先輩の意見に耳を傾けているという意識が強い。芯があり、自分が正しいと思うことを続ける。そうやって社会を生きていける人がどれだけいるのだろう。とにかくステージやテレビ番組で頑張っているアイドルが好きだ。

 

 そして彼らは、お金を払わないと会えない人である。(こういうとホストのようだが)個人的な意見だと、その遠さが心地よい。勘違いをしなくて済むのである。ありがたいことに毎年ドームツアーを開催してくれているが、いわゆる良席をお金を積んで入る人たちがいるが、全く理解が出来ない。近くで見たいならまだしも、近ければ近いほどファンサが欲しい気づいて欲しいと期待してしまうものである。期待してなにかあるのと、その場にいれれば幸せという心持ちでいてなにかあるのとでは感じ方も違うのである。私は、近かろうが遠かろうが、その空間が好きだ。特にここ最近は自担を追うことが本当にたのしい。(そんな自分が好き、という説もある)そして何より、彼らが生きていて、動いているのを何度も嬉しく思う。「本物、、、本物、、、」とほぼ毎回呟くヲタクは少なくないのでは。その妙な関係が成り立つのは、アイドルならではだろうか。簡単に「会いに行ける」アイドルとは少し違うのだ。

 

 

 次に「安田章大」の魅力について考えてみる。そもそも私は、LIVEでファンサされたとか、この番組のこの瞬間を見てとか、担当になった記念的出来事はない。高3の秋、なぜか安田担を名乗るのである。それはよいとして、安田章大には数々の魅力がある。
①とにかく可愛くて、かっこいい
 彼はギャップのかたまりである。ニコニコ天使のように笑う時と、つり目がちになり男らしい顔を覗かせる時などある意味ジェンダーレスだ。LIVEでもメンバーを見渡して頬をほころばせる場面もあれば、観客を「お前らついてこれるのか!」と煽る場面もあるのでドキドキが止まらないのだ。
ダンスもギターも歌も全力投球
 彼のLIVEでの役割は、かなり多いと感じているが、彼は全てを完璧に仕上げてくる。某メンバーはダンス覚えが悪かったり、また某メンバーはなんちゃって踊りをしていたり(disってはいない)する中で、とにかくミスが少ないことは贔屓目に見ているからだろうか。ダンスは伸ばすところはしっかり伸ばし、曲げるところはしっかり曲げる。小さい体でも存在感は人一倍あるのでは。そして彼にはギターという任務もある。これに関してはミスをしていても正直分からないので、かっこよければよしだ。
③言葉の選び方、話し方が独特
 彼はおそらく語彙数は多くない。あまり言葉を知らないし、天然もあり妙な発言も目立つ。webでは不可解な言葉を操ることも少なくはない。でも、彼にしか発せられない言葉たちもたくさんある。生きとし生けるすべてのものを全身で感じて、心に浮かんだ言葉を文章にしている感じがする。決して整った言葉ではなくても、正しいことではなくても、想いを乗せた言葉は必ず誰かの心に届く。そう信じているからこそ、彼の言霊はとても強く、遠くまで届く。


こう考えると、安田章大を応援することで
たくさんの人に出会い、
たくさんの気持ちに触れ、
たくさんの経験が出来ていると思う。

そもそも、
ヲタ卒=その全てを捨てる
と考える私は間違っているのかもしれない。
それでもSNSから離れ、大好きな人たちに会いに行けない日々を私は想像できないから、
また明日からも真面目に働くのである。

 

今年の夏も楽しくなりそうだ(笑)

 

実は関ジャニ∞にも語り尽くせない魅力があるのだが、それはまた後日、、、